種が小さく果肉が厚いのが
福井の梅「紅映」「剣先」の特徴です。
福井の梅は、日本海のリアス式海岸沿いという特有の風土の中で、冬の寒さをこらえ、春の潮風とやわらかな陽射しを一杯に浴びて育ちます。春を待つ冬の日本海の寒風の中、百花にさきがけて福井の梅は花を咲かせます。日本海の荒波にもまれた魚の美味しさと同じように、越前若狭の四季を果実の中に取り込んでいます。福井梅は寒風の中でも自分の花粉で結実できる寒さに強い品種です。
また、種が小さく果肉の厚さが最大の特徴で近年になってミネラル分を豊富に含んでいる品種であることが明らかになってきました。
紅映
紅映は、名前のとおり果実の陽光面に色素が発現してほんのりと赤く着色するのが特徴です。実は熟してくると日当たりの良い部分の表皮が紅色に染まり、その周囲は甘酸っぱい芳香につつまれます。全国でも福井県でしか栽培されていない希少品種で、「梅干し」づくりに最適な品種です。マイルドな酸味、豊富に含まれるミネラル分が自慢。梅ジュースや梅酒もお楽しみ頂ける万能品種です。
剣先
剣先は実の先端部がやや尖っています。梅酒やシロップ漬けをお楽しみ頂きたい果肉のしっかりした早生品種です。
福井梅の誕生!
福井梅の歴史は古く、江戸時代の天保年間(1830~1844年)に若狭町伊良積で発祥したと言い伝えられています。
今から約180年前、若狭の国西田村の豪農「助太夫家」と「平太夫家」の庭に梅の木が植えられました。
この梅は、両家の名にちなんでそれぞれ「助太夫梅」「平太夫梅」と呼ばれ、
幾度にわたる品種改良を経て「紅映(べにさし)」「剣先(けんさき)」として福井の地に定着しました。これが「福井梅」のはじまりです。
その後、明治15年頃から村が自給的栽培から積極的な栽培拡大を奨励し、「西田梅」として栽培されるようになりました。
三方五湖の湖畔一帯で栽培される「福井梅」は天保の時代から受け継がれてきた伝統の風味を今も守り続けています。
京は遠ても十八里 京都の食通に愛されてきた福井梅。
越前若狭と京都との歴史は古く、若狭の国が「御食国」と呼ばれ朝廷に塩や魚介類を納めていた奈良・飛鳥時代をさかのぼります。
若狭の海の幸は奈良の朝廷の口を楽しませ、京へ都が移ってからは京の都の人々に「若狭もの」と称され、
京料理には欠かせないものとなりました。季節の旬を愛でる京の食文化と越前若狭の四季の食材。
京への食材を運ぶ道は鯖街道として越前若狭につながり、大きな荷物は馬や舟で運ばれました。
その頃苦労がしのばれる「梅売り唄」が若狭三方に伝えられています。
福井梅はそんな京都の食通に愛され、長い年月を経て少しずつ生産を拡大してきた栽培の難しい希少品種です。
京懐石や夏の京都の風物詩「川床料理」に、初夏の味覚を楽しむ旬の食材として福井梅は珍重されています。
大相撲優勝力士に贈呈される福井梅。
福井梅は、昭和61年から大相撲優勝力士に贈呈されています。
激しくぶつかり合う力士の体の中から守っています。